たとえば自分がもし、生まれる前から、
「自分を精神的にも肉体的にも追い詰めて、さとりを開く」
という人生計画を立てていたとしたら
そこはやはり、それ相応の試練や苦難が
その人の前に現れてくると思います。
しかも、あのブッダですら、
長期間の極限の断食をして本当に死ぬ寸前までいって、
そんなことをしても無駄だと自分で気付いて止めてから、
やっとさとりを開く事ができたのです。
これを普通の人がさとりを開くとなったらどうなるか?
例えば、ブッダと同じような道筋でさとりを開くにしても
少なくとも死ぬような目に最低1度はあわないと
さとりは開けないような気がします。
しかも人によっては、それが1度じゃすまないとしたら、
現実に何度も何度も死ぬような目にあう必要があるとしたら…
これは例えば、というお話なんですが、
新しく会社を作り最初は順調だったものの、
大きな取引の直後に、信頼していた部下に
会社のお金を持ち逃げされ、結局支払いが出来ず
会社を潰してしまい、住んでいた家も失った人がいて、
しかも、家族で細々とアパート暮らしを始めた直後に
妻が病気で入退院を繰り返し、妻の看病に精神的にも
疲れきってるところに、自分がガンになっていた事を
知ってしまった・・・。
という人の人生を、この「さとりを開く」為に
生まれる前から計画してきてたとしても、
当の本人は、納得できるのでしょうか。
多分、当の本人は、ささやかな生活でも家族円満で
しあわせに生きて生きたい。もし可能なら
またお金持ちになりたい。と本音の所では
思っていたかもしれないのですが
しかし、さとりを開くことが目標の計画だった場合、
このさとりを開くために、もっと、苦しい立場や環境に
再度追い込まれるかもしれないわけです。
そして現実には、
今生の人生の計画を完全に忘れてしまってる当の本人は
そんな事を「全く望んでもいない」としたら…
そうすると、場合によっては死んだほうがマシだ。
と思ってしまう人が出てきても不思議では無いんですよね。
そしてこのようなお話を、知識として知らずに
艱難辛苦を延々と経験されているとしたら、
かなりつらい人生になる気がします。
ただまあ、全部、私個人の空想だと思われてもいいですし
全部ウソの話だと言われてもいいのですが、
しかしもし、なにか読んでて
ひっかっかる所があるようでしたら、
もう少し精神世界の分野を
勉強されてみるのもいいかもしれません。