もっと別の意味での将来を心配しても意味が無い理由

これから書くお話は、
信じられない人は全く信じられない話で、
私自身も確信までは至ってないお話となります。

さて、ここを読まれてる方の中で、完全に理解されてる方が
いらっしゃるかどうかわからないのですが、

私達が生きているこの世界というのは、唯一のものではなく、
例えば、いくつもの同じ様な世界が折り重なっていて
ある意味、パラレルワールド的な世界のうちのひとつが、
今、私達の住んでいる世界なんだ。という考え方があります。

例えば、今この世界では、サラリーマンで生活していても、
別の世界では、会社の社長をやっていたり、
また別の世界では、公園のベンチや無人駅で寝泊りしている

「自分が居るかもしれないのが」

このパラレルワールド的な世界という概念です。

まあ、ちょっと書き方が難しいのですが
わかる人だけついてきてみてください。

さて、こういったパラレルワールド的な世界のひとつに
私達は生きているのですが、実は、今、この時点での
意識の持ち方しだいで、別のパラレルワールドの世界に
自分自身が移り住む事(シフト)が可能になるようなのです。

例えば、いつも豊かさを感じ
しあわせを意識しながら生活している人だと、
次第に自分の周りの人も豊かな心の持ち主が増えてきて、
幸せな人ばかりの世界にシフトしていける可能性があります。

逆に、いつも何かを恐れ、
不安や争いにばかり意識して生活していると
次第に自分の周りでも争いが絶えない環境になって行き
戦争ばかりやってる世界にシフトする事になっていくかもしれません。

そしてこういった話は、今を生きてる人にとっては、
自分の感覚として実感できないものなので、
たとえ概念として知っていても、
本当かどうかは自分でもわからないと思います。

しかし、このパラレルワールド的な世界の話の中では
いつも豊かさやしあわせに意識をあわせて生きて行けば
そういった世界の住人になれるのです。

ただそうすると、将来を心配する。という事自体に
意味が無いって事になってくるのです。

上に書いたように、
豊かさやしあわせを意識しながら生きていけたら、
豊かでしあわせな世界に住むことになるので、
どっちみち、心配しようとしまいと、
心配するような未来はこないことになるんですよね。

逆に、心配すればするほど、
つい心配したくなるような、不安や恐怖がはびこる世界に
知らぬまにシフトしていくかもしれないわけです。

もちろん、心配したくなるような世界に行きたい人は
これからもどんどん心配していく事で
そういう世界にいく事ができると思いますが
まあ、あまりお勧めはしません。

ただ、こういったお話も、私自身が直接この世界が多重構造だ。
という部分を観てきたわけではないので仮説にしか過ぎません。

本当の所は、こういった知識よりも、

「自分はどういった存在で在りたいのか?」

の方が重要なきもするのですが、

「人生は効率よく生きていければよい」

と言うわけでもないので、

各々が、それぞれ苦しくても
楽しんで生きていけたらそれでもいいかな?
とか、個人的には思っています。