しあわせを実感できる時ってどんなとき?

この「しあわせを実感できる時」というのは本当に十人十色で

男女でも違ってきますし、多分、年齢やその人のとりまく環境によって

ほんとうにそれぞれ違ってくると思います。

たとえば、このサイトでも

「しあわせになるにはどうしたらいいか?」

というお話を何度か書いてきたわけですが、

簡単に書いてみると、

結局自分自身がしあわせになると決めない限りは、

だれも自分をしあわせにしてくれない。

といった感じで今まで書いてきたと思います。

ただ、世の中にはいろんなしあわせの形があるんですよね。

例えば、仕事終わりの一杯のビールを飲むことが

何よりもしあわせな人もいれば、

家に帰って、ベッドに入ってぐっすり眠る事が

最高のしあわせの人もいますし、

他にも、人に喜んでもらえることをして

お礼に「ありがとう」と言われた時に、

しあわせを感じる人もいるわけです。

こう考えてみると、

世の中にはいくらでも

しあわせがあるのがわかりますよね。

さて、話を戻しまして、

世の中にはしあわせになりたいと思ってる人は多いとお思います。

もちろん私もそうなんですが、

こういったしあわせを求める人の場合、、、

例えば「しあわせを感じられる瞬間」を多くするか、

長時間保てるような努力をしてみると

しあわせな毎日を得られるかもしれません。

ただ、いろんな人のお話を聞いていると、

しあわせになりたいと言ってる人の中には、

その人自身がしあわせを実感できるような行動を

あまりしていない人も中には居る様です。

いえ、この場合しないってだけならまだしも、

しあわせとは真逆になりそうな事に

時間を費やしている人も結構います。

たとえば、うまく行かなかった時というのは、

愚痴とか不平不満が出やすいものですが、

愚痴や不平不満を言う事に時間を費やして、

幸せを実感できるような事柄に見向きもしない人もいるのです。

ただ、こういった愚痴や不平不満を言う事に

しあわせを感じるという人も時々いますが、

現実には、

その愚痴を言った延長線上に不運が待っている事が多いので

言えば言うほど、しあわせからは遠のいていく事になります。

ただ、絶対に言ってはいけないという程ではなく、

個人の自由でいいとは思うのですが、

運が悪い人でいつも幸せそうな人を私は見たことが無いので、

愚痴もほどほどにして置いたほうがいいかもしれません。

ちょっと話を戻しますが、

しあわせというのは人それぞれではあるものの

例えば、食べる事によって感じるしあわせ感だけは、

いろいろバランスを取らないと病気になる事があるので、

そこだけは注意してみてください。

まあ、食べる以外にも幸せになれるからと言って、

過剰にしてしまうとバランスが崩れる場合もあるようなので、

どのしあわせもほどほどが一番だと思います。