世の中には、見えなかったら存在しないものだと考える人が多いですよね

今日はちょっと気になってる事を書いて行こうと思います。

さて、タイトルにも書いた

「見えなかったら存在しないものだと考える人」

のお話ですが、

これと似た様な感じのお話に

「人に見られなかったら(ばれなかったら)

 なにをしても(どんな悪い事をしても)大丈夫だ」

という考え方があります。

ただ最初の方のお話は具体的にどんな話なのか解らなくても

こっちの話は誰でも理解しやすいと思います。

この「ばれなかったら悪い事をしてもいい」という考え方は

自己中心的な人にとくに多い考え方ですが、

ただ普通の人でも、つい魔がさして。といった感じで

悪い事をした時の言い訳の言葉として使ってる人も時々見かけます。

まあ、人が見ていなくても、

自分がその悪い事(=良心に背くこと)をしているワケですので、

周りにバレてなくても何かしら自分に影響が出ないわけがないのですが、

人って自分にとって都合の悪い話は

(なぜだか)よく見過ごす人が多いので、

なかなかここの部分を改善する事ができないんですよね。

とちょっと話が外れてしまいました、

今回はこういったお話がメインではなく、

メインのお話は「見えなかったら存在しないものだと考える人」です。

さて実は、この地球上には見えなくても存在するものは数多くあります。

まあそんな事だれだって言われなくてもわかってる。

と思われてる方も多いとは思うのですが、

まあ聞いてください。

例えば、人の目で見える範囲というのは、

本当にもの凄く狭いのは皆さんもご存知の通りです。

実際に、赤外線ですら人の目には見えませんし、

月が雲に完全に隠れて太陽の光が地上に届かなければ

電気の無い所とかではまったく何も見ることができません。

ただこれとかは物理的なお話ですが、これとは別に心理的なお話として、

心や感情や人の想いなども、目で見ることは出来ませんよね。

しかし、目には見えなくても「有ります」よね。

実際に人のこころは有りますし、考えも有りますし、

また、想いも有りますし、愛だってありますよね。

つまり、見えなくても有るものがあるわけです。

しかし(私もそうなんですが)

人って普段から「見えてない」と、

それを軽んじる傾向があるんですよ。

これをちょっと言い換えて書くと、

見えていないと、それを重要だと思わなくなったり、

二の次にしてしまう傾向が人にはある。

と私は考えるわけです。

しかし、こういった見えない重要な部分を

ついおろそかにしてしまったり、軽んじてしまうと、

どうしても人間関係が上手くいかなくなってしまうのです。

実際に人のこころは見えませんし、

考えている事も見えませんが「有ります(存在します)」

となると、普段見えないのだから、余計に慎重になったり、

重要に考えなければいけないはずなんですが、

なぜだか、自分の立場が周りの人より上になると他人の見えない部分、

心や想いを軽んじる傾向が強くなってしまうんですよね。

例えば会社での人間関係で言うなら、

たまたま運が良かったから出世できた人が、

上の立場になった途端に威張り散らして、

地位を利用して好き勝手にする人とか稀にいるのですが、

こういった感じの人は、人の心や想いが「有る」ことすら忘れて、

その人の存在すらも蔑ろにしてしまう場合もあるようです。

と、ちょっと重い話になってしまいましたが、

人というのはどうしても周りの人より偉くなってしまうと、

見えないものを無いものとして扱う傾向が強くなるようです。

しかし、世の中の事を知れば知るほどに、

見えないものこそ特に重要な場合が多いので

貴方も気をつけてみてください。

人には心があります。

しかし見えません。

それでももしかしたら、

どんな場面でも最優先に考えないといけないかもしれないのが

この人の心だったりするかもしれないのです。