これは斉藤一人さんが話していたお話なんですが、
日本の常識というのは、可でもなく不可でもない丁度真ん中、
つまり、常識というのは日本人の平均的な考え方であり、
この常識というのは、テストでいうと50点レベルらしいです。
ただわたし自身も常識人という人と会って
いろいろお話して来たのですが、
無難な人が多いように感じました。
まあ悪く言えば面白みに欠けてるといったところでしょうか。
その人なりの個性が出し切れていない感じの人が
多い気がするのです。
そしてこの斉藤さんのお話には続きがありまして、
常識というのはテストの点でいうと50点だけども、
学校で50点とっても誰も褒めてくれない。
と話が続きます。
確かにテストで50点とって褒める先生はあまり居ないでしょうし、
50点をとって喜ぶ親もあまりいないでしょう。
例えば40点が赤点のラインだとしたら、
10点しか余分に取れて無いワケですし、
これが人としての50点なら、ちょっと気を抜くだけで、
すぐ人間的に赤点になるわけです。
ただ、常識やマナーを重んじるのが悪いという訳ではありません。
常識人である事で、自分らしく生きていけてる人なら、
なんの問題も無いわけですから。
しかしここで問題になってくるのが、
自分の個性を思いっきり出せてる状態で、
自分らしく生きていけてる人が、
周りの人になんだかんだ言われて常識やマナーを重視する必要が出てきて
(今、自分らしく生きている状態で人生的に見ても95点ぐらいの人が)
常識を無理して守る事で、50点に向けて自ら点数を落としている感じの人です。
この常識を守る事というのは、
日本人の平均的な考え方に沿う事と同じことになり、
場合によっては、その人の個性を無理して押さえ込まなければ、
うまく常識人になる事はできません。
しかし、そういったケースで個性を押し込めるという事は、
= 自分らしく生きていけなくなる。と同じ意味になるので、
人によっては常識を守れば守るほど、
面白くない人生を歩むことになります。
ただし、常識を守る事で人間関係が良好になる場合もありますが、
人間関係が良好になっても、それで自分らしく生きていけないとなるなら、
その人生に意味があるのか?と個人的には思ってしまう訳です。
まあ、これは個人的な考えですので、
世の中の全ての人に当てはまる話でも無いのですが、
常識に縛られて人生が面白くないな。と思ってしまう人は、
少し生き方を変えてみた方がいいかもしれませんね。
ただ、こういった感じの人は、
何が原因で自分らしく生きていけないのか?
が、自分ではわからない場合も多いので、
生き方を少しかえるといい言われても
なかなか難しい所があるようです。