この世は人生の勉強の場というお話

このお話はある人が詳しく本に書かれていたので

そちらを読まれるともっとわかりやすいかもしれないのですが

私なりにこの世の中はどんなものなのかを書いてみますと、

私達がこの世に生まれてくる理由のひとつとして、

魂を成長させるために生まれてくる。

というのがあると、私自身は思っているわけです。

そして魂を成長させるためには、

例えば、生きていくことに何の苦難も無く、

自分の思い通りに行き続けられるようであっては、

この魂の成長が見込めないので、

この地球上では、人間が生きてる限りは必ず

困難な目に遭うように、

神様(創造主)が創ったようなのです。

(まあ、人間が人間を

 何も無いところから作り出せないという事は

 人間以上のなにか。例えば創造主がいると仮定しないと

 つじつまがあわないんですよね)

だから、生きている限り悩みが無くならないは、

地球上のこの構造のお陰というワケですね。

ただし、まだ魂があまり生長してない人が

いきなり艱難辛苦を生まれたときからずっと与えられても

たぶん耐えることができないと思うので、まだ若い魂は、

比較的に楽な試練や問題が与えられる場合が多いようです。

例えば、幼稚園レベルの勉強でいうなら、

ひらがなを書けるようになる為に勉強するとか

カタカナを書けるように勉強するとか

こんな感じなら、ほとんどの人が

「人生の勉強に耐え切れない」

という事は無いと思います。

しかし、ある程度魂のレベルが上がってくると、

ひらがなやカタカナを書ける程度では

成長しなくなってきます。

そうすると、小学校レベルの九九や、足し算引き算に加え

軽めの体操や運動をして成長して行く事になります。

まあ、小学生になったら、悪い事をしたら悪いことだと、

先生に怒られたり親に怒られたりするとは思うのですが、

これが現実には、

風邪にかかってみたり、軽い病気になったり、

自転車で軽い接触事故に遭うぐらいの、

比較的軽めの因果応報が自分に返って来るわけです。

しかしもっと上、

例えば、中学生や高校生レベルとなると、

物理化学や生物学に数学等々、他にも、

美術などの芸術も学ぶようになってきます。

まあ、いい大人でもこのレベルの

テスト問題が解けなくなってくる人もいるので

結構侮れないとは思うのですが

このレベルを現実の世界で言うならば、

少しでも地球のルールに外れた行動をすると

直ぐに因果応報として自分に返ってきたり、

また、前世や、もっと前の過去世の因果応報の報いを

今世で解消する為にまさに文字通り「艱難辛苦」を味わいながら

生きていかなければならない人も出てくるワケです。

しかしこれが結構キツイんですよね。

なんせ、前世で自分がやってきた事なんて

完全に忘れてこの世に生まれてきたわけなのですから。

実際になぜ今、重い病気になっているのか?

なぜ、借金苦に喘ぐ様な生活に追い込まれているのか?

なぜ重要な場面で人に裏切られるような事ばかりおきるか?

等々、

とくに普通に生きてきた人などは

いくら因果応報だからといっても

身に覚えの無いところから運が悪いことが

立て続けにおきてくるわけなので

生きていくのさえ

シンドクなってくる人も出てくるわけです。

しかも、このレベルになってくると(学校で例えるなら)

かなり完璧な答えを要求されてしまうので

更に困ってしまいます。

例えば、魂がまだ若い状態なら、ひらがなを覚えて

書くことさえ出来れば◎がもらえて、

先生に喜んでもらえていたのが、

魂がある程度成熟してくると、

アインシュタインが発見した数式レベルの数式を

自分で発見して先生に提出しろと言って来るわけです。

そこでもし間違ったら、

釘バットで横っ面を殴打されるわけです。

(↑あくまでイメージです)

まあ、人生の勉強のレベルは、この世に生まれる前に

ある程度自分で選べれるそうなのですが、

例えば私自身が選択した人生の勉強のレベルは、

どうも釘バットレベルだった気がします。

とまあ、冗談はおいといて。

人によって人生の勉強のレベルが違うので、

人によっては、結構簡単に人生の課題が

クリアできる人もいるようですが

そうで無い人も世の中には多い様子です。

でも本当は、神様(創造主)は(以下の様に)

この地球をこんな感じで作ったのかもしれません。

例えば近所の公園の遊び場の様に地球を作っていて、

本当なら、私達は砂場で遊んだり、ジャングルジムで遊んだり

滑り台で滑ってたりしているだけなのかもしれません。

ただまあ、たまには転んで怪我をする事はあるでしょうが、

多くの子供は一時的には泣く事もあるでしょうが、

痛みが消えたらまた元気に砂場にいって遊んでたりするものです。

そして、やがて空が茜色に染まり夕日が出てきたら、

お母さんに手を引いてもらって家に帰るというわけです。

これを、私達の一生と考えてみたら、案外神様というのは

優しいお母さんみたいなものかもしれませんね。