運がよかったという言葉について

例えばプロのスポーツ選手の人が、

オリンピックなどで金メダルを取ったときに

インタビューを受けることがありますが、

そのインタビューの中でその金メダルを取った選手がよく話す言葉として

「運がよかったから金がとれました」とか

「チームのおかげで(皆さんのおかげで)優勝できました」

といった感じの受け答えが返ってくる場合が多いですよね。

もちろん、実際に運がよかったのかもしれませんし、

確かに周りの人の手助けがあったおかげで

金メダルがとれたのだとは思いますが、

しかし基本的にはどんなスポーツであっても、

世界一になる為の「技術や実力」がなければ、

そのスポーツで金メダルは取ることは不可能だと思います。

つまり、世界一の称号を得るためには、

どんなスポーツであっても運だけでは無理だと思うわけです。

しかしそれでも日本の選手のほとんどは、

「自分の実力で勝てた」といった話は全面には出さず、

運や周りの人の話をメインにインタビューに答える人が多いですよね。

これはなぜかといいますと、この日本という国自体が

「自分の実力で勝った」と言うことを

許さないような風潮が根本にあるからです。

(別の書き方をすると、自分の力(実力)だけで勝利できた

 と言う事を許さない風潮が日本にはあるのです)

だからプロのスポーツ選手で

どんなに自分の実力で世界一になれたとしても、

日本国内ではまず自分の実力で勝利をもぎ取った!

と言う人はでてきません。

しかしそのせいか、それが原因で

勘違いしてしまう人が出てくる場合がある様です。

というのも、テレビやネットなどで、

運で優勝できたとか世界一になれたと言ってる人達ばかり見ていると、

運さえよければ、あまり努力をしなくても、

自分も簡単に世界一になれるのでは?

と単純に考えてしまう人が希に出てくることがあるのです。

まあ確かに、どんなプロのスポーツであっても、

実力が同じぐらいの人が競い合っていた場合、どちらかの選手に

運が味方することでその選手が勝利できる場合があるのはあります。

しかしそれが世界一のレベルとなってくると、実力の方も、

そのスポーツの中でもトップレベルの話になってきますよね。

例えばボクシングとか見てるとよくわかるのですが、

世界ランカー1位の人がワールドチャンピオンに挑戦している場面で、

実力が拮抗していて10ラウンドぐらいなってくると、

チャンピオンも挑戦者も殴り合う体力が無くなってしまい

もうへろへろの泥仕合になってしまう場合があるのですが、

そのへろへろでふらふらの場面だけを見てると、

自分でもチャンピオンを倒せそうだと思ってしまう人が出てくるのですが、

しかし、考えてみると、

そこでチャンピオンと戦ってる挑戦者というのは、

そのチャンピオンに挑戦できるリングに立てる実力と

実績がなければまず戦うことすら出来ないわけです。

たぶん、そのへろへろの状態のチャンピオンや挑戦者であっても、

プロのライセンスを持っていない素人がその場で挑戦しても、

勝てないだろうと思います。

そしてここで話を戻しますが、

だから運がよければなんでもうまくいくのに。

という考え方は実は間違っていて、

基本は、実力をしっかり身につけた上で、

後はもう何もやることが無くなった段階で、

+αとして運について考えていく。

というのが正解じゃないかと個人的には思っています。

まあ、物事があまり上手くいかない人の場合は、

運がどうこう考えるよりもそのやり方の方が間違ってる場合が多いので、

やり方や考え方の方をチェックした方が

運を考えるよりも早く問題が解決できると思います。

また、テレビでの勝利者インタビューでの運がよかった。

といった言葉は、

この言葉の前に、

(人よりも何倍も練習を頑張ってきて、

 やれることは全部やって来たおかげで結果的に)

「運がよかったので勝てた」と言っている場合が多いです。

まあ何にしても、何も努力せず、楽して、運良く

毎回よい結果を得られるなんて都合のいい話は無いですので

そこは気をつけてみてください。


ふと想った事
世の中思ったよりも悪くない、ここにヒントが隠れてる