悩むときは客観的になると答えが見つかる

ある程度世の中の事を知るようになってからも、
人は生きてる限り悩み続けなければいけません。

それはどうしてか?

どんな出来事も表と裏という感じで、
立場によって正義が成り立つからです。

どんな出来事でも普通は、
それを「あるがまま」見ようとはせずに
自分なりの解釈でその出来事を見ようとします。

そうすると、同じ出来事であっても、
「良い出来事だ」という人もいれば、
人によっては逆に「悪い出来事だ」と言う人も出てきます。

今から70年前に広島に原爆が落とされましたが、
あの過去の出来事を、今生きてる人で(特に日本人では)、
「良い出来事だった」という人はあまりいません。

しかし、70年前の終戦直後は、日本はともかく、
他の国の人たちは「あれで戦争が終ってよかった」、
と口をそろえて言ってたわけです。

そして、今でもアメリカでは、
「よかった」と言ってる人もいる中、

広島で被爆した人が今までずっと、
大変苦労されてきた現実もあるわけです。

そういう意味では、たとえ同じ出来事だったとしても、
意見が正反対になってしまう場合が出てきます。

ただそうすると・・・
「どっちが正しいのか?」という話になった時に、
悩むことになります。

実際に正しいも何も、起きて来た出来事に対して、
いろんな人がいろんな解釈をつけただけに過ぎない話です。

正しいか正しくないか、という論議自体が難しい。
それは分かっていても、どうしても起こりえることです。

そして分かっていても、やはり答えがでるまで悩むわけです。

「正しい答えがあるはずもない」のですが。

普通に生きていくだけでも、
この様な構造のお話は山の様にあるわけでして、
悩みが全部無くなる事はありません。

ただ、そういう場合は・・・
それはまた今度にでも書いていこうと思います。