このサイトで少し前に、今の自分と過去の自分は、
ある視点で考えて見ると、全くの別人である、
という考え方もできるというお話を書いたことがありました。
あのお話は、例えば私が小学校の頃と、
今の私とを比べたとしたら、知識はもちろんのこと
今まで生きてきた時間(経験の量)が全く違うためです。
そしてなにより、この知識と経験が合わさった結果としての
「自分の考え方そのもの」が全く違います。
だからこそ「同じ人間であっても全くの別人だと思っていいのでは?」
というお話を書いてきたわけです。
ただ、そこで気になってくるのが、
モノを知らないことによる恐怖や恐れというものがあったということです。
これは、幼い頃はもちろん、社会人なり立ての頃の私自身、
持っていました。
私達は将来の自分の事については、
まったく何の情報も持ってないのが普通です。
現状の延長線上に対して予想はできたとしても、
具体的な未来の話になると、
誰もが確実に「こうだ」と言い切ることはできないと思うのです。
結婚を何年の何月にするとか、
何年に子供が生まれるとか、
いつ事故に遭うとか、
病気になるとか、
最後はどの様な状態でこの世を去るとか、
などです。
逆に自分が死ぬ年やどうやって死ぬのかがわかってしまうと、
それはそれでおもしろくないです。
知ってるがゆえに、
恐怖を抱いてしまう人も当然出てきます。
いずれにせよ、
普通は未来を知らない人がほとんどということです。
一方で知らない事による、不安や恐怖というのもあります。
しかし、それは勉強し学んでいく事で、拭い去る事ができます。
自分は何者なのか?とか、
自分はなぜ生きているのか?とか、
死とはなんなのか?とか。
こういうことは、自分の中で、ある程度答えが出せてるぐらいでないと、
重要な場面で何かあるたびに選択肢で迷う事になりそうです。
人生の分岐点で自分は何者で何のために生きてるのか?
がハッキリしていれば、何かを選ぶときに間違うことは少なくなります。
そういう意味でも「知る」ことと、
「経験する事」ことは、
かなり重要になります。
知るべき事と知らなくても良い事。
不思議なことに、知らなくても良い事を知りたがるのが人間ですよね。
でも、知っておいた方が良い事がある、
ということを意識しておくだけでも、
人生はかなり違ってくるものです。