正しい生き方をすれば確実に幸せになれるというわけでもないというお話

世の中には大きく分けて、正しい事と間違っている事の二つに分かれます。

しかしこの正しい事というのは、例えば地域限定の常識に沿って正しかったり、

限定された時代の一般常識として正しかったりする場合が多いので、

例えば、その地域では正しい事であっても別の地域では間違いとされてたり、

また時代が変われば常識も変わっていき、今まで正しいとされていた事が、

間違っていると定義付けされる場合も時代によってはありうるわけです。

つまり、この世の中にある正しいとされているものは、

ある種の流行みたいなもので、時代や場所が変われば、

また違った正しさに変わったり間違いとされる場合があるという話です。

そう考えていくと(タイトルに書いた様に)正しい生き方をしたからといって、

幸せになれるわけでは無い事は分かると思います。

例えば、正しいというのは今の常識の範囲内での正しさであって、

その常識の範囲内に納まらない所にもし自分の幸せがあったとしたら、

常識とは違った(もしくは)間違った人生を歩んでいかないと

自分は幸せになれないという話になってしますよね。

まあ、かなり理屈っぽくなってしまいましたが、

もう少し踏み込んで書いてみると、、、

たとえば正しいとか正義というものを基準にして生きて行こうとすると、

その人の性格によっては

間違ったことや悪とされる行動が出来なくなってしまいます。

その結果、間違った事をした事で理解できる事や、

悪とされることをしてしまった事で自分を省みて反省する。

という事ができなくなってしまうので、

その失敗の反省から導き出される

「自分にとっての正しい生き方(自分に合った生き方)」を

見出せない場合がでてきてしまうのです。

だから個人的には、

正しいとか正義を基準に生きて行こうとするのは

あまりおすすめできません。

この世の常識とされるものや流行というものは、

ほぼ全て自分以外の誰か(その他大勢)が作ったものであって、

自分の為だけに作り上げたものでは無いわけですし、

その常識とされているものの中で

正しいとされているものを基準にして生きていこうとすると、

どうしても我慢しなければいけなくなる場面が出てくるものなんです。

そしてこういった我慢しなければいけない事ばかりが続いてくると、

いったい自分は何をしにこの世に生まれてきたのか?

という話になってきてしまう人もでてくるので、

やはり、正しさだけを基準に生きていくのはよくなさそうです。

まあ、結論としては、

正しさ = 自分の幸せ

とはなら無い事があるというお話です。

もちろん正しいことをする事で

幸せになれる人はどんどんしていくべきですし、

無理にその生き方をやめる必要もありません。

今回のお話は、正しいことをしてるのに

幸せになれない人に向けてのお話となります。