自分は良くても、周りの人が・・・

いろいろ人を観察していると、運がいい人でも悪い人でも、

起きて来る出来事自体はどちらもだいたい似た様な事が起きているのに、

その人自身の受け取り方ひとつで運が良かったり

悪かったりする様に見えてくる事が結構あるんですよね。

ただし、誰が見てもこれは絶対に運が悪いだろうと

思えてしまう事柄については、

たとえはたから見て運が良さそうに見える人であっても、

なかなか全ては受け入れられない様に見えてしまう場合があります。

さて、今日のお話は、

自分は良くても周りの人がダメな状態になってしまっていると

結構重い感じで自分の負担になってしまう事がある。

というお話です。

例えばよく耳にする話では、今まで普通に仕事をしていたのに、

ある日突然鬱病で仕事が出来なくなり、病院に行っても治る兆しが無く、

普通にさえも生活できなくなってしまった家族を持った時とか。

これが自分だったら、また話が変わってくるのですが、

家族がそうなってしまうと、自分は元気で働けていても、

その家族が負担になって自由に生きられなくなってしまうケースが

出てくる事があるのです。

もちろん、自分の家族ですので八つ当たりするわけにもいかず、

わかってはいても時として心身ともに負担になる事があり、

場合によっては自由に行動できない場合もあるので

ストレスの方も溜まる一方になる人も中にはいる訳です。

ただし、この世の中に

自分にとって必要でない事は起きてこない事を考えると、

やはりこういった事も

自分にとって必要だから起きて来たんだろうと私は考えています。

実際にこういう事もあって、

例えば、自分の事のみに起きて来た事については

自己責任だとは理解できる人も多いとは思いますが、

自分の周りに起きて来た事に対しても、

ある意味、自分にも責任があるという考え方が必要になる事もあるのでは?

と私は考えています。

ただ、なかなかこういった話は理屈では理解できても、

感情的には受け入れられない場合も結構あるんですよね。

とくに損得勘定がどうしても強く働いてしまう人の場合は、

自分にとって損になる事や都合の悪い事が身に降りかかってきた場合、

それがたとえ家族が原因であっても、

猛烈に腹が立ってしまう人もいるようです。

(つまり、自分がそうしたわけでも無いのに

 なぜ自分以外の人が原因で起きて来た事に対して、

 私が手を煩わせなければいけないんだ。

 と、損得勘定が激しい人は思う訳です。それで腹が立つと)

ただ考えてみると、この世の中というのはは、

損得勘定で生きていくよりも、愛そのもので生きていかなければ、

生き辛い環境設定になっているようなので、

そこの所はちょっと意識しておいた方がいいかもしれません。

まあなんにしても、一見、足を引っ張られている様に見える状況でも、

その状況は今の自分にとって必要だから起きてきているんだ。

という考え方は、

特に難しい問題を解決する為のヒントになる場合も多いので、

意識されるとよいと思いますよ。