今の日本では常識を重んじるような風潮がはびこっており、
例えば常識から外れるようなことを大きな舞台で言ったり行動したりすると、
世間から問題視されたり、その人の評価を極端に落とされたりします。
例えば今の日本の総理が、女は子供を生む機械だ。などと
もし公の場で言ったとしたら、
確実に内閣の支持率は極端に下がるでしょう。
実際にこの言葉を言った政治家が過去にいたのですが
その人は政治の世界からは見なくなりましたね。
ただこれについては地位の高い人が常識の無いことを言った場面での例えばなしですが、
別に地位が高くなくても、普通の一般人であっても、
常識から外れるよな事ばかりしたり、常識の無いような事ばかり言う人は、
周りの人から嫌われる傾向があります。
しかしだからといって、逆に常識の範囲内で行動したからと言って
自分が幸せになれたり、自分らしく生きていけるようになれるのか?
となると、必ずしもそうでもないのです。
しかし、人というのは本能的に変化を嫌う性質がもともとありまして、
その性質に逆らってどんどん変化する為に新しい生き方を開拓していくよりも、
どんな場面でも現状維持、もしくは安定志向(常識の範囲内)で生きていった方が、
生き方としては楽に生きれる場合が多いのです。
ただし、日本の常識の範囲内で生きていくということは、
=他人が考えた生き方を生きていく事と同じ意味になり、
人によっては、今の日本で言われている常識ある生き方では、
自分らしく生きていけなくなる場合が出てくるのです。
そしてここの部分に気づいてない人が世の中には結構多い気がするんですよね。
例えば自分らしく生きていくというのは、自分にとっていやな仕事をしながら、
嫌いな上司や取引相手に無理して頭を何度もさげ、
嫌いな先輩に飲めない酒を無理やりつき合わされ、そのお酒の場で
世の中のあらゆることに不平不満を垂れ流す生き方ではありません。
もちろん、こういった生き方が自分にとって楽しい生き方だと感じられるのなら
この生き方こそ自分らしい生き方だとは思うのですが、
まあ、よっぽどMな人でないと楽しい生き方とは言えないのではないでしょうか?
と、今日は、こういった話がメインではなく、
メインは、人から与えれた環境や条件をそのまま何の疑問も持たずに受け入れて、
ただ漠然と生きていくような生き方よりも、
もし、今、自分らしく生きていけてなかったり、
自分のかなえたい夢がなかなか叶わない状態になってしまっているのなら、
周りから与えられるいろいろな提案(誘惑)をしりぞけて(断って)
自分らしく生きていくために時間を使ってみてはどうでしょうか?
という提案です。
実際に、夢がなかなか叶わないという人のお話を伺ってると、
自分の周りの人に合わせすぎて(=自分が使える時間を周りの人に奪われすぎてて)
自分のやりたい事ができないようなケースも結構ある様子です。
ただそういった場合は、たとえ相手との印象が多少悪くなろうとも、
自分の夢や自分の生き方の方に時間を使うように行動したほうがいいです。
(バランスは必要だと思いますが)
まあどちらにしても選択権は自分にあるというのだけは間違いありません。
たとえ上司や友達がいろいろ言ってきたとしても、
それを断ることができるのは、結局自分しかいないわけですので。