本気で叱ってくれる人がいる事で人は成長できる。
というお話を今日は書いてみようと思ったのですが、
それ以前に今の世の中では、
他人から自分の至らない所や悪いところを指摘されて
叱られてしまうという状況を
極端に嫌う人が多いように感じます。
まあ自分でも悪い事をしてるな。とか、
怠けてるな。とか思いつつもキチンと真っ当に生きるよりも
打算的に生きていく方が楽なので
人というのはついつい自堕落的に生きてしまいがちですが、
えてしてそういう自堕落的な生き方というのは
人間的な成長には繋がっていきませんし、
またどこかのタイミングでその自堕落なツケが
まわってくる場合も多いようです。
そしてそのツケがまわってくる前に
なんとか辛い思いをしないようにと
本人の為を想って叱ってくれる人が世の中にはいるのですが、
その当の本人自身に
その叱ってくれる言葉を受け入れる体勢が出来てないと、
どうしても馬の耳に念仏みたいな状況になってしまうんですよね。
つまり、相手を思いやって叱ったとしても、
相手からありがたがられる事もなく、逆に腹を立てられたり
無視されたりして嫌われてしまう事もある訳です。
叱り損といった感じでしょうか。
また逆の立場からすると、叱られる側というのは、
実は自分自身も叱られるような事をしているという自覚があり、
分かっててやっている事が多いのですが、
自分でも分かってることを(たとえ血がつながっていても)
他人から指摘されてしまうと、気恥ずかしさや情けなさから
逆切れのような態度をとりがちになってしまうというのが
人というような気もしてきます。
そしてこの頃は、叱られた時に
それを受け止めれる体勢になっていない人が
多いような気がしてくるというわけです。
例えば、ちょっと指摘されただけですぐキレる人がいたり、
キレる事は無いけど極端に機嫌が悪くなったり、
その話題を無視したり、指摘した人を無視する人がいたりと、
人の話に耳を傾ける体勢が
いつでもできていない人が結構居るような気もするわけです。
これだと流石に相手の事を想って叱る場合は、
よっぽど相手より優位な立場にいるか、
相手よりもよっぽど器が大きな人か、または、
人間がかなりできてる人でないと難しいかもしれませんね。
また逆に叱られる側を見ても、
叱られても耐えられるぐらいの精神力や体力が無いぐらい
疲れてたり病気になってる人がかなり居るようなので
そういった人はまず健康で元気になる事が重要かもしれません。
と、今の世の中を見ていると、こういった理由からか、
本気で叱られている人もあまり見かけなくなりましたし、
本気で叱る人もほとんど見かけなくなりました。
(ちょっとしたことで直ぐに腹を立て
怒る人(怒鳴り散らす人)はよく見かけるんですが
あれは見苦しいですよね)
ただまあ、今はそういった時代の流れなのかもしれませんが、
人として成長する為には
本気で叱られる必要もある場合もあるので、
いつ本気で叱られても
いつでもそれを受け止められる体勢だけは
維持しておきたいものです。
まあ、今日はなにか
分かりづらい話になってしまったかもしれませんが、
いろんな考え方があるという話です。何かの参考になれば。